パーキンソン病と有名人 三浦綾子の場合

女性の例を見てみます。
『氷点』などで知られる北海道出身の作家・三浦綾子さんも
知人が先に気づいてくれたという。

一向に病院へ行こうとしないので、知人が神経内科の医者を
自宅まで連れてきてくれたと彼女の著書に書かれています。

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神経内科の医師なそうな。私にいろいろ動作をさせてみて、
ちょっと頭をかしげる。
そして曰く。
「もしかしたらパーキンソン病か、その症候群かも知れません」
急ぎ検査を要するとのこと。パーキンソン病とはいかなる病ならん。
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これは三浦さんの『難病日記』(主婦の友社、一九九五年)
の一節です。

[パーキンソン病克服プログラム]

自覚症状として「手の震え、足のよろめき」があったと、
その後書かれている。

パーキンソン病に特有の便秘にも苦しめられていた
もようです。

この本を読んで、さすが作家だなあと感心した箇所がある。

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近頃の私の生活は、華やかな色彩にあふれている。
廊下へのドアや、トイレのドアを開けると、そこにきれいな
花束が置いてある。
紫、黄色。赤など、壁に倚りかかるように置いてある。
が、あっと思う間にその花たちは消えてしまう。
初めの頃は驚いたが、近頃は、今度はどんな花が見える
だろうかと思うようになった。
医師に聞くと、パーキンソン病の薬の副作用だという。
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副作用のことをこのように美しく表現した人はこれまで
いないので、とても驚きました。

もしかしたら、文学者に現れる幻想は特別なものかも
しれませんね。

[パーキンソン病克服プログラム]

受け手の感受性が鋭いから。それにしても、そんなにきれいで
カラフルな幻覚なら、だれでもウエルカムだけれども、
とんでもない幻覚や妄想で悩まされる患者さんのほうが多い、
というのが残念ながら事実です。

三浦綾子さんが亡くなったのは九九年でした。
生まれは山田風太郎さんと同じ一九二二年で、享年七十七歳
でした。

死因は多臓器不全とのことです。脊椎カリエスをはじめ、
多くの病気に悩まされた生涯で、七十歳のときにパーキンソン病と
診断されている。

この病気との付き合い期間は十年に満たず、比較的短かったと
いえましょうか。

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天寿もやや短かったようです。
ここでは有名人の例を挙げましたが、いまはインターネットの
ホームページで闘病記を発表されている患者さんも少なくありません。

各章の最初にご紹介している「純子のたわごと」の
作者・西田純子さんも若年性パーキンソン病の患者さんです。

日記や作品を発表することは患者さん同士の励まし合いに
なるだけでなく、私たち医者にとっても教えられる点が
多々あるのです。

また、患者さん本人だけでなく、家族の方たちも他の患者さんの
真摯な姿に接して感動し、励まされ、介護の力を
取り戻したりするものです。

ですから、患者さんたちには、引きこもっていないで声を
出してほしい、どんどん外に出てきてほしいと、この場を借りて
強調しておきたいと思います.

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