映画『バック・トウーザーフューチャー』で一躍世界的スターになった
マイケル・J・フォックスさん(一九六一年~)にとって、
一九九〇年十一月のある火曜日の朝の出来事は一生忘れられないことでしょう。
「目が覚めるとぼくの左手にメッセージがあった。
それはぼくを震え上がらせた。
そのメッセージはファックスでも電報でもメモでもなかった。
心を乱すニュースは そういう形で伝えられたのではない。
実際、ぼくの左手にはなにもなかった。
震えそのものがメッセージだったのだ。
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彼は自著『ラッキーマン』(ソフトバンクパブリッシング、二〇〇三年一月)の
冒頭にそう記しています。
コツ、コツ、コツ、水を一滴ずつ垂らしていく中国の拷問のように、
小指が自分の頭蓋骨の裏側をやさしく打ちつけるのを感じたと書いています。
突然、小指から始まった振るえ、それは三十歳を前に
やってきたパーキンソン病との出合いでした。
彼がパーキンソン病にかかっていることを公表したのは、
それから八年もたった九八年のことでした。
その三月に脳の手術を受け、十一月に雑誌のインタビューを
受けたのでした。
手術は成功して、左側の振るえは止まったものの、
やがて右側の振るえが出現しました。
パーキンソン病は徐々に進行し、完治はしないのです。
それなのに、彼はどうして本のタイトルをラッキーマン
としたのでしょうか。
「パーキンソン病は天からの贈り物だ。
こんな贈り物などいらないと人は言うだろうが、この病気にならなかったら、
自分が十年近く歩んできた心豊かな深みのある人生は送れなかった。
ハリウッドのスターどして有頂天になっていた病気以前の自分には
決して戻りたいとは思わない。
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この病気のおかげで、ぼくはいまのような自分になれたのだ。
だから、自分を幸運な男と思うのだ。
こう言っています。長い時間がかかったけれど、彼は見事に病気を受け入れ、
彼の人生を生きているのです。
いまの彼は「マイケル・J・フォックス パーキンソン病リサーチ財団」
を設立し、その活動に忙殺されているそうです。
また、モハメド・アリさんと二人で米国議会公聴会に呼ばれて、
パーキンソン病患者代表として意見を述べたこともあるそうです。
彼の本は日本でも発売後、あっという問に版を重ねて、多くの人に
共感を持って読まれています。
女性では○三年六月に九十六歳で亡くなったハリウッド女優
キャサリン・ヘプバーンさんも晩年にパーキンソン病を
患っておられたそうです。
九四年の『めぐり逢い』を最後に映画界から遠ざかっていて、
死因は老衰と発表されました。
「知性と機知」を兼ね備えた稀有な存在として世界中の人々から
尊敬され、愛された女優でした。
彼女のように、アカデミー賞主演女優賞を四度も受賞する女優が
今後現れることはあるのでしょうか。
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