蝶のように舞い、蜂のように剌すと称賛された
モハメド・アリさん(一九四二年~)。
一九六〇年のローマオリンピックでのライトヘビー級金メダリストです。
その後、プロボクサーに転じ、六四年に世界ヘビー級チャンピオンに
なりました。
いまや伝説的な黒人ボクサーです。
彼の特徴は軽やかなフットワークと素早く重いパンチで、
しかも打たれ強かった。
さあ、打てよと挑みかかり、パンチをさんざん打たせてから、
相手をリングに沈めたものでした。
これが、いま思うとよくなかったのですが。
また、試合前に挑戦者を挑発する「おしゃべり」も過激かつ閥達でした。
それはスポーツ選手には珍しいくらい達者で、彼以前にも以後にも
こんなスポーツマンはいません。
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機関銃のようなこのしゃべりで、彼は黒人の地位向上にも貢献したのです。
引退したのは八一年です。通算成績六十一戦五十六勝(三七KO)五敗でした。
巷では、パンチを浴びすぎてボクサー特有の病気-パンチドランカー
なったという噂が流れていました。そんな彼が再び大観衆の前に出て
脚光を浴びることになったのです。
九六年のアトランターオリンピックです。
極秘にされていた開会式の聖火リレー最終ランナーとして、
彼は登場しました。
しかし、走らなかった。
いや、走ることはおろか、じっと立っているのも努力を要する状態だったのです。
アリさんは八四年にパーキンソン病と診断されていました
(パーキンソン症候群ともいわれている)。
聖火台の側に立っている彼の手足は小刻みに振るえていました。
顔つきに以前のような精悍さ、快活さはなく、固まったような乏しい表情でした。
けれども、頂点を極
めた人の威厳が感じとれました。手足の振るえを隠さない、
その堂々とした姿に、テレビのネットワークを通じて世界中の大たちが
感銘を受けたのです。
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全国パーキンソン病友の会事務局(東京都港区)に勤務する男性の患者さんはこう
言っておられます。
「あの映像を見たときはまだ自分は発病していなくて、あのカシアスークレイ
(後にモハメド・アリと改名)がああなったかと思うと、とてもショックだった。
大ファンでしたから。さらにショックだったのは自分が同じ病気になったとき。
ああなるのかと思った。
でも今にして思うと、彼の姿は立派だった。
米国の、しかも南部アトランタで、世界中の注目と尊敬を集めた
元ヘビー級世界チャンピオン、モハメド・アリさん。
彼が闘っているパーキンソン病という病気も、世界中の人に知れ渡ったことでしょう。
彼の姿は同じ病気で苦しむ患者たちだけでなく、多くの悩める人々を力づけたと、
私は思いました。
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